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2010年9月29日 (水)

【第152回】母のいるうちに渡辺 祐徳 (英語)

 母は今、病魔と闘っている。
医者から2か月の余命宣告を受けたのは今月の初めのことだ。
ガンが肝臓や肺から転移して、ターミナルケアの段階に入ってしまった。
もうまともに食事ができなくなってからずいぶんになる。
体力のない母に施すことのできる治療法にも限りがある。

 物心ついたときには、母はいなかった。
同じ屋根の下で暮らしたことがないから、息子らしいことはほとんどできていない。
残された少ない時間で、母のために何ができるだろうと考えるようになった。

 肩をたたいてやりたい。もっと話をしたい。いっしょに旅行もしたい。
「おかあさん」と呼ぶ声を、何度も何度も聞かせたい。 

 どうして一番必要なときに自分には母親がいなかったのか、そんな境遇を恨んだことがなかったといえば嘘になる。社会人になってから自由に行き来するようになり、ようやく私も、これが母が一生懸命に生きた足跡なのだと理解できる歳になった。

 会いにいくと必ず「元気?」「みんな仲良くしとる?」と言ってくれる。
50になろうとしている私が一瞬、小さな子どもに戻る。
母はいつも人のことばかり気遣っている。一番辛いのは自分なのに。

 孫や可愛がっていた犬の話をすると笑顔になる。
普段はできない食事も、私がいれば食べられるという。

 ずっといっしょにいたい。長生きしてもらいたい。孫の晴れ姿を見せたい。奇跡よ起これ。

 豪快で強がりで、寂しがり屋で泣き虫で、優しかった母が今、ひとりで行こうとしている。

 「何もしてやれなかったね」「お前にすべて押し付けた」と悲しそうに言う母の言葉が胸に食い込む。
 そんなことはないよ。今あるのはお母さんのおかげです。

 せめて最後は、少しでも多くの時間をいっしょに過ごしたい。