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2009年9月 9日 (水)

【第100回】天国と地獄向江 大輔 (地歴・公民)

むかし、むかし、天国と地獄の両方に行った事がある人のお話。

ある人が地獄に行きました。地獄には、綺麗な花が咲き、水が流れ、それはそれは美しい場所でした。

ある人が、地獄の道をさらに進んでいくと大きな建物が見えてきました。

その建物の中には地獄の亡者たちがたくさんいました。

その時、大きな鐘の音が『ガラーン・ゴローン』と鳴り響き、地獄の亡者たちが大きなテーブルの周りに座り始めました。そして、テーブルの上にはたくさんのおいしそうな料理が運ばれてきました。

どうやら食事の時間のようです。

さらに、よく見ると地獄の亡者たちの手には
自分の腕よりも長い箸を手に縛り付けられていました。

さて、いよいよ食事のスタートです。

地獄の亡者たちは我先にと食べ物をつまみ、自分の口元へ運ぼうとしますが箸が長すぎて食べられません。そうこうしている間に食事終了の合図がなり、テーブルの上にあった美味しそうな料理はグチャグチャに飛び散りひどい有様でした。しかも地獄の亡者たちは一口も食べられないまま食事の時間が終わってしまいました。(よく見ると地獄の亡者たちの体型は痩せてガリガリでした。)



次にある人は、天国に行きました。

天国も地獄と同じでそれはそれは美しいところでした。

ある人が天国の道を進んでいくと地獄にあった建物と同じ建物が見えてきました。中に入ると、ちょうど『ガラーン・ゴローン』と大きな鐘が鳴り響き、どうやら天国でも食事の時間のようです。

地獄と同じように大きなテーブルの周りに天国の住人たちが座り、たくさんのおいしそうな料理が運ばれてきました。もちろん天国の住人たちにも自分の腕より長い箸が手に縛り付けられています。

さて、いよいよ天国でも食事がスタートしました。

ですが、天国の住人たちはみんな美味しそうに料理を食べています。

さて?どうやって天国の住人たちは料理を食べることができたのでしょうか??

答えは簡単ですね。そうです。

天国の住人たちは長い箸で自分の向こう側の相手に食べさせてあげていたのです。そして、天国の住人たちはおいしい料理をお腹いっぱい食べることができました。

天国も地獄も実は同じ場所。
ただ違うのは、思いやり与える心
わかち合う心があるかないか。これが天国か地獄かの分かれ道。

クラス内や部活内・自転車で道路を走っているとき、公共の施設や乗り物を利用したとき、どこかのお店に入ったときなどなど、自分の身近なところに当てはめてみて下さい。

地獄は、一瞬で天国に変わります。

2009年9月 2日 (水)

【第99回】留学とは…道上 ちひろ (英語)

 今日、交換留学生としてカナダから女の子がやって来ました。
彼女は1年間遊学館で日本語、日本の文化、それ以外にも多く学ぶことになります。
自らが生まれ育った土地を離れ、家族や友人と別れてきた彼女には、寂しさや不安な表情は全くなく、新しい土地での生活に期待を膨らませていることが手に取るように感じられました。

 彼女の姿を見ていると、私自身が大学時代にアメリカで過ごしていたことを思い出しました。
念願だった留学が現実となり、意気揚揚とアメリカへ向かいました。
しかし、期待とは裏腹に英語が思うように話せない、聞いても理解できない、英語を勉強しに来たのだから、アメリカ人以外とは話したくない。新しい文化には馴染めない、食べ物は油まみれ、待てどもバスは来ない…。なんでこんなところに来てしまったのだろうという、後悔ばかりの毎日が続きました。

 そんなある日、同じ授業を受けていた韓国人の女の子が話しかけてくれました。
「私のアパートでパーティーをするんだけど来ない?」
そう誘われて、おもいきって行ってみました。そこには、彼女をはじめ、アメリカ人、ブラジル人、トルコ人、アラブ人など様々な国の人たちが来ていました。

 そこで、私の留学生活を大きく変える出来事が起こりました。
それぞれ国籍も言語もちがう10人余りの人々が、英語というひとつの言語でつながっているのです。ある時は一斉に大笑いし、ある時は、真剣な表情で相手の話に耳を傾ける。またある時は、共感し、大きくうなずく。言葉の持つ力を心の底から実感した瞬間でした。言葉が通じれば、心も通じあえるのです。心が通じれば共感が生まれ、喜びにつながるのです。

 このことをきっかけに、私のアメリカ生活は大きく変化しました。
自分から、多くの人たちに話しかける、聞き取れなくても何度も聞き返す、新しい文化も受け入れるように努力する。それからは、多くの友人ができ、会話も上達していきました。たくさんの人たちに出会い、様々なことを学び、私の人生にとってかけがえのない経験となりました。

 1年間というのはあっという間で、別れの時が近づいたある日のことでした。
初めて、私をパーティーに誘ってくれ、ずっと仲良しだった彼女は私に言いました。
「私は、おじいちゃんに小さいころから、日本人とは仲良くしてはいけない、日本人は韓国人にひどいことをたくさんしてきたんだよ、といわれてきたの。」
「でも、ここで、あなただけでなくたくさんの日本人に出会えて本当によかった、私は日本人のことが好きになれたから。」

彼女のその言葉を聞いたとき、”留学”という言葉の本当の意味を知ったような気がしました。留学とは、その国の言語を学ぶこと、と思っている人は少なくないと思います。しかし、留学とは言語や文化を学び、そこから、心を通わせ、お互いを理解し合うことなのかもしれません。

 今回、カナダからやってきた彼女にも、1年を通し、自分にとっての留学の意味を見つけてもらいたいと願っています。