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2008年4月30日 (水)

【第37回】高校生の君たちへ あえて勉強の話をしよう渡辺 祐徳 (英語)

◆それぞれの舞台で活躍する生徒たち◆

 遊学館高校には、さまざまな場面で活躍している生徒が大勢いる。中でも、卓球、バトントワリング、駅伝競走、野球などの部活動で、全国レベルの実績を収めている生徒や、ボランティア活動やスピーチ・コンテスト等で表彰を受けた生徒たち、その他にも挙げば切りがないほど多くの舞台で、みんなががんばっている。

 私はその中で、「勉強」という舞台のことを書いてみたいと思いう。決して派手な活動ではなく、地道だけれども、すべての生徒が取り組まなければならない。「勉強」という言葉はいかにも重々しく、とっつきにくいと感じるかも知れない。

 私も正直、勉強が好きだとは言えないし、高校生のころは、苦手な科目はいつも後回しにしていたと思う。しかし、少し考え方を変えるだけで、勉強もずいぶん楽しくできるということがわかった。一度で多くは書ききれないが、恥ずかしながら私自身の体験談も含めて、高校生の君たちに参考にしてもらえれば幸いだ。

◆敏感な「興味のアンテナ」を持とう◆

 高校生にとって高校生活の大半を過ごすのが、教室で授業を受けている時間だ。だから、学校生活そのものが楽しいか、充実しているかは、授業を面白いと感じるか、理解できるかにかかっていると言ってもいい。また、少しでもたくさん勉強しておいたほうが、よりよい進学先や就職先を選択できることも、高校受験を経験してきた君たちには容易に想像がつくと思う。

 では、どうしたら授業が面白くなり、理解できるようになるのか。それはまず、君たち自身が、「知りたい」「わかるようになりたい」という気持ちを持つことだ。常に敏感な「興味のアンテナ」を持って、本を読んだり、辞書で調べたり、授業の予習や復習をしたり、友達や先生に質問しよう。そして、「知る喜び」「わかる喜び」を一つでも多く体験してほしい。

◆通学路にあふれる英語◆

 私が英語を面白いと感じたのは、小学校5年生のころ、あるものに興味を持ったことがきっかけだった。それは,通学の途中で目にする自動車の名前だ。“Bluebird”、“Corolla”、“Crown”、“Laurel”、“Mark II”…「ローマ字とは違うな」「これが英語のつづりなのかな」

そのうちに、テレビのコマーシャルや店の看板、雑誌などに書かれている英語が気になりだした。“Shop”、“Store”、“Books”、“Cleaning”、“Bowling”、“Restaurant”…当時は、英語は中学校に入ってから始めるのが当たり前で、英会話教室に通うことなども、思いもつかなかった時代である。

それでも、通学路や身の回りにあふれる英語を、ただ興味の向くままに見ていただけだが、無意識のうちに単語を覚え、英語の特徴をつかむ練習になっていたと思う。もちろんそのころはまだ、自分が将来英語の教師になるとは、想像もつかなかった。

◆どうして「おじさん」が「ウ○コ」なの?◆

 中学校に入って、新しい制服、新しい友人…何もかもが新鮮だ。そんな中、初めての英語の授業が始まった。文法的なことはまだ知らなかったが、自分の知っている単語がいくつも出てくるのはうれしかった。英語のあいさつなどの表現も興味を持って覚えることができた。

 ある時、大きな疑問が湧いた。その当時は、学校にAETの先生はまだおらず、外国人の発音に触れることができるのは、先生が授業中に教科書の朗読テープを聞かせてくれるときだけだ。最初に先生のあとについて発音練習をしてからテープを流してくれるのだが、先生とテープの外国人の発音がまったく違うのだ。

これには本当に驚いた(当時の先生、ごめんなさい)。“Yes, it is.”という簡単な表現でも、先生の発音は、はっきりと「イエス、イッティーズ」と非常にわかりやすかったが、外国人の発音は何度聞いても、「イェース、イリーズ」としか聞こえないのだ。おまけに“uncle(おじさん)”が「ウンコー」と聞こえたときはショックだった。「どうしておじさんがウ○コなんだ?」こうしたことがきっかけで、英語の発音にも興味を持った。

この続きは、また機会があればさせてもらおうと思う。
高校生の君たちは、ぜひ興味を持って、「知りたい」という気持ちを大切にして勉強してほしい。その気持ちがあれば、勉強も少しは面白くなり、成果も上がると信じている。

2008年4月23日 (水)

【第36回】サウナで始まる私の習慣Y. M. (地歴・公民)

 とある公立高校の先生とスポーツクラブのサウナでよくご一緒させていただきます。一緒に身体を動かして汗を流すわけでもなく、時間を合わせてサウナに入るわけでもないのですが、そこでお話できる時間が楽しくてたまりません。そんなある日にその先生が毎朝、門の前に立ち指導をされているということを伺いました。

 朝の忙しい時間に自分にはとてもできないと思っていましたが、ちょうどその話を聞いた頃に小さなことでもいいので何か継続して新しいことを挑戦してみようと思っていたので、生徒の登校時間に私も校門に出てみようと思いました。

 1000人を超える生徒のうち、自分が日常的に関わっているのは担任を持つクラスの生徒、授業に出るクラスの生徒、部活の生徒ぐらいで他の生徒とは廊下ですれ違い様に挨拶を交わすぐらいである。全校生徒というのは難しいかもしれませんが、私も登校してくる生徒と挨拶を交わすことでまた生徒に対して違った見方ができるのではないだろうかと思いました。

 私自身、生徒指導を担当しているので指導ばかりの時間になってしまうという気持ちも持っていましたが…。

 校門に立ち始めてからはや半年以上が経ちます。当初予想していたものとは全く違う感覚でした。

 一番感じていることは登校してくる生徒の変化を日々感じることができることです。服装が乱れている生徒が少しずつきちんとしてくること、挨拶もしなかった生徒が自ら挨拶をしてくること、毎日慌てて登校してくる生徒がわずかながら早く校門を通過してくることなど数えればきりがないほど上げられます。沢山の生徒がわずかながら成長をしていく姿を感じる時間として校門に立つのは毎朝、非常に楽しみです。その僅かな成長を本人に伝えて自分自身の成長を感じてもらえるようにこれから声をかけられたらと思っています。

 この朝の光景は私の幼少時代を思い出します。学校に通う朝、家を出ると近所のおじさん、おばさんに出会い何気ない挨拶、何気ない会話を交わしていきます。時には身なりで注意されたりと…。そのコミュニケーションが気分の乗らない時など「がんばってきなさいよ!!」と背中を押してもらっていたような気がします。

 私は生徒を迎える立場としてではありますが「今日も一日がんばってこい!!」という近所のおじさんオーラを出せるような時間にこの朝の校門指導でできればと思っています。

 気持ちは私がこの学校にいる限り毎日、校門に出たいと思っていますが口で言うほど継続していくことは簡単なことではありませんが、言ったからにはやることと、生徒の成長する姿を楽しみながら朝の時間を過ごしていきたいと思います。

 最後に、このきっかけを与えてくださった「サウナ先生」ありがとうございます。
先生に負けないよう朝の校門指導を務めていきます。

2008年4月16日 (水)

【第35回】先生として山本 雅弘 (保健体育)

高校野球に携わって7年になります。

2001年の春に創部し、22名の一期生からスタートしました。私は部員に「監督」でなく「先生」と呼ばせています。それは、人間形成と野球を教えることを大切にする意味が含まれています。また、常に次のステップに繋げることも大切にしています。その私の意を汲んでか、一期生の12名が野球を続けてくれました。その一期生も、この春大学を卒業し社会人として巣立つ年代です。

上級生がいなく、三年間縦社会の経験もなく高校を巣立って進学した12名。その中で7名の挫折者がでてしまいました。入学許可をもらい、入学前の練習に参加している時点での挫折が1名。入学後、選手として有望視されながらの挫折が5名。

今から思えば、この6名は私の指導の未熟さが原因と反省しています。試合の結果を重視して人間形成がおろそかになっていたように感じます。あと1人は授業の関係で続けられなかった。(早稲田大学の法学部)

先輩もいない中、縦の社会の勉強も出来ずに伝統ある世界に入り頑張り通した5名。社会人野球に進んだ1人はプロ野球に。東京六大学に進んだ1人は、縦の人間関係に悩みながらも4番を任され、社会人野球に。
主将として全日本大学選手権まで導いた1人も社会人野球に。あとの2人も地域のプロ野球と社会人野球に。指導者の道に進んでくれなかったことが少し残念にも思いますが・・・。

5名が高校球児の「夢の世界」で野球を続けてくれていることに喜びを感じています。私が指導者として尊敬する大先輩の言葉、「夢を見て、夢を育て、夢を食う」。「夢」を持ち、それに向かって「努力」することが大切だと思っています。努力することによって日々成長し、夢を勝ち取る姿が人生そのものと思います。

この春、八期生を迎え「先生」として襟を正して指導に当たりたい。

2008年4月 9日 (水)

【第34回】生徒は私の鏡(先生)Y. H. (英語)

 桜の花もほころび始め、何かそわそわする季節がやって来ました。

 新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。

 これからは遊学生として、希望に満ちた高校生活を送られると思います。
今は、期待や不安で胸がいっぱいだと思いますが、私は、あなたたちをしっかり受けとめ、サポートしていきたいと思っています。

 私は、遊学館高校で教鞭を執って、はや10年が経ちました。初めて、遊学館学校の門をくぐったときの印象は、「生徒たちは、なんて爽やかに挨拶ができて、元気なんだろう…」と感心しました。通りすがりの私の顔をしっかり見て、「こんにちは」と大きく、力強い声で挨拶してくれたことがとても嬉しく思い出されます。そして、10年経った今も、学校でのそのような風景は変わらず受け継がれています。

 新入生の皆さんも、ぜひ、大きな声で挨拶をして下さい。数日後にはきっと、あなたも立派な遊学生になっているはずです。廊下ですれちがう時を楽しみにしています。

 毎年、担任として多くの生徒との出会いがあります。最初は、生徒それぞれの性格や思いが分からず、意見がぶつかり合ったり、戸惑ったり、諦めそうになったり、お互い気持ちがモヤモヤしたりと、奮闘する日々もたくさんあると思います。

 しかし、生徒の皆さんは、いつも「私の鏡」です。私が優しい顔をしていると、生徒も穏やかで優しい気持ちになり、私が怖い顔をしていると、生徒も同じ顔になります。私の心持ちを皆さんから、いろいろな場面で気づかせてもらいます。たくさんの経験をもらえ、本当にありがたいです。

 これからは、もっと生徒の気持ちを引きだし、心の叫びを聞き取れる人になりたいと思います。

 常日頃、私の持っている目標は…

(1) 生徒一人ひとりと向きあう心を大切にする。
(2) 生徒の思いや痛みを感じる心を大切にする。
(3) 待つ心を大切にする。

 私にとって、とても難しいことばかりですが、生徒からもっと…もっと…、色々な気付きをもらいたいと思っています。

 新入生の皆さん、貴方たちとお会いできることを楽しみにしております。

2008年4月 2日 (水)

【第33回】古き良き校舎でM. M. (英語)

 昨年度私が受け持ったクラスは、2年9組の福祉コースと美術コースの生徒が在籍するクラスであった。そのため、教室にはボランティア活動を募集する掲示物や生徒自身が設置した空缶のプルタブ回収を呼びかける箱があり、福祉コースらしさを感じた。私が教室に飾った花を喜んでくれ、頼まずとも水替えをしてくれる生徒がいる。

一方、教室の隅には、画材のつまった大きなカバンや製作途中の作品が目に付いた。落ち着くのだろうか、授業中も無意識に練りゴムをこねながら話を聞く姿、放課後に教室の机を4つあわせて大きな画用紙を広げ制作に励む姿が見られた。中庭に出てイーゼルを置き、校舎や植物をスケッチしているのも私が好きな光景のひとつである。

 ところで、この生徒たちの教室というのが、実は生徒玄関から最も離れた場所にある。第2学館3階のいちばん隅にある教室だ。朝、玄関で靴を履き替え、息を切らせて教室に飛び込んでくる生徒も少なくない。そこは、板張りの床、今ではアンティークともいえるドアノブやねじ式の窓の鍵など、長い歴史を感じさせる古い校舎の教室である。

 現代の子ども達は、物に恵まれとても便利な環境で育っている。しかし、この教室は違う。朝日の差し込む気持ちの良い朝を迎えられるのだが、夏はとにかく暑い。エアコンや扇風機を回してもいっこうに涼しくならない。冬は今時めずらしい煙突つきの大きな石油ストーブで暖をとる。これは指一本で、というわけにはいかない。1階から灯油を運び、ストーブに給油をし、3段階のスイッチ操作をしてようやく着火する。それでも教室が暖まるには1時間はかかる。金属製のたらいに水を入れ、ストーブの上に乗せておくことも忘れてはならない。そして、水が蒸発して少なくなっていることに気付いた生徒は、ちゃんと水を足してくれる。

 ボタンひとつで瞬時に何もかもが満たされる時代に育った子どもたちでも、与えられた環境に順応していくのだなと感じる。時には不便さも必要なのではと思える。

 私がいつも生徒たちに言っていることがある。「古いのと汚いのは違う。どんなに新しい校舎でも使い方が悪く掃除をしなければ汚いし、どんなに古い校舎でも大切に使いこまめに掃除をすればきれいになる。」と。

 しかし、この古い校舎ももうすぐ取り壊され、新しい校舎へと生まれ変わる。2年9組の生徒たちは、この1年間自分たちが最後の生徒だという特別な気持ちと愛着を持って、大切にこの教室を使ってくれた。ありがとう。そして、これまで生徒たちを温かく見守ってくれた校舎にありがとうと言いたい。

 毎年この季節になると、第2学館の長い廊下の窓から校舎の横に咲いている桜の花を見ることができる。まるで雲の上を歩いているかのように桜を見下ろせるのだ。日毎に花を咲かせ、そして散ってゆく。教室に向かうときに毎朝変わる桜の様子を見るのが好きだった。今年はその景色がおあずけになるが、来年の春がとても楽しみだ。