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2007年8月28日 (火)

【第4回】テヘンニムヤクタO. S. (国語)

Viewimg_19  みなさん、こんにちは。

暦の上ではもう秋に入っているはずなのですが、厳しい残暑が続いていますね。

もうすぐ新学期が始まりますが、生徒諸君は充実した夏休みを過ごすことができたでしょうか?特に3年生は進学補習に就職講座にと、忙しい夏休みだったことでしょう。

さて、私は就職指導を担当していますが、この夏休み中、生徒諸君が受験を希望している企業へ企業訪問に行く機会がありました。その際に訪問先の採用担当の方とお話をしていると、

「企業訪問に来る遊学館の生徒さんたちは挨拶がしっかりとできていますね」

とほめていただく事がたびたびありました。学校訪問にいらっしゃる方からも、同様のお言葉をいただくことがあります。

(ちなみに、「挨」という漢字には「押す」、「拶」という漢字には「迫る」という意味があり、もともとは「禅宗の師が門下の僧と問答をして、その悟りの深さ浅さを試すこと」が「挨拶」でした。それが次第に、「人に会ったときや別れるときなどに取り交わす、礼にかなった動作や言葉」という意味へと変わってきました)

初めてお会いする方やお世話になった方などに「挨拶をする」ということは当たり前のことですが、なかなかできていない高校生が多いのでしょう。実際に、遊学館の生徒諸君は挨拶がよくできているなと感じます。

中学生の時には、なんとなく恥ずかしかった挨拶も、遊学館へ入学してしばらく経つと、先輩や先生方につられて、抵抗なくできるようになったという人も多いのではないでしょうか。


登校した時には 「おはようございます」、

授業や部活の始まりには 「おねがいします」、

終わりには 「ありがとうございました」、

昼間に校内ですれ違うときには 「こんにちは」、

下校するときには 「さようなら」……。


もし、この挨拶がひとつも交わされない学校だったら、と想像すると、どうでしょうか。
とても寂しく暗い学校になってしまうのではないでしょうか。逆に、遊学館の生徒諸君がいつも明るいのは、この辺りにも原因があるのかな、とも思います。

当たり前のことが当たり前のようにできる。

挨拶だけに限ったことではありませんが、これはとても大切なことだと思います。この先輩方から受け継いだ良き伝統を、今後も継承していって欲しいものです。

また、間もなく3年生は進学・就職シーズンの本番に入ります。新学期が始まり学校に登校する際には

「おはようございます!」

と元気な挨拶で弾みをつけ、もうひと踏ん張りして、この時期を乗り切っていきましょう。

2007年8月21日 (火)

【第3回】 「遊学」とは−新しい人との出会い、つながり?中村 裕行 (地歴・公民)

 遊学館高校の生徒諸君、残り少なくなった夏休みを元気に過ごしていますか?

 この文章を読んでいる本校の生徒は、私が1学期の終業式で

「本校のホームページが8月10日にリニューアルされます。
全国の高校で最も多くアクセスされるように、いろいろな仕掛けがしてありますので、お楽しみに…」

と話したことを覚えていますね。

 私は8月10日、クラブの遠征で学校を離れていたため、ホームページがリニューアルオープンされた前後の反応を直接確かめることはできませんでした。
しかしながら、この作業に携わった一員として、内外の反応はたいへん気になるところです。情報が不特定多数の人々に発信されることの魅力と怖さを、今さらながらに感じています。

 ホームページの魅力という点から話をすれば、特に県外出身生徒のご家庭にとっては、遠く離れた場所から子どもが通っている学校の情報をほぼリアルタイムに把握できることは、有り難いことではないでしょうか。

昔、テレビカメラを向けられ
「故郷のお父さん、お母さん見てるー?私は元気に頑張っているから安心してー!」
などとピースしている姿などをよく見かけたものですが、このホームページがそんな役割を果たしてくれれば、こちらも有り難いと思っています。

 現在、本校には100名近くの県外出身生徒が在籍し、主に運動部で活躍しています。校名にある遊学とは、異郷の地で学ぶという意味ですから、まさにその通りの状況が生まれているわけです。

入学して間もない頃は、クラスに2、3名いる県外出身生徒との言葉の違い、文化の違いなどが新鮮な驚きとなりますが、時がたてば県外出身生徒も自然にクラスへとけ込んでいく、これは本校の魅力の1つだと感じています。

先生方にも県外出身者は多く、いろいろな縁で本校に赴任し、「チーム遊学館」を構成しているという感じです。

 私も県外出身者の1人で、東京都多摩市という所で育ったのですが、系列の金城大学職員に同じ出身地の方がいらっしゃるということを先日知りました。

さらに驚くべきことは、私が大学生の時にボランティアで通っていた学童クラブに彼が児童として通っていたらしいということです。まさに遠く離れた石川の地で、20数年ぶりの再会を果たしたことになります。

教え子とか師弟関係というには及びませんが、本当に何という縁だろうかと感動してしまいました。

 「私学は人」だと、よく言われます。

建学の精神の下に集い、学び、巣立っていく-受験の現実を考えれば理想に過ぎるのかもしれませんが、このような生徒が1人でも多く集まってくれればと思います。

全国には、1万名を超える卒業生の方々もいらっしゃいます。
このホームページを通じて、「チーム遊学館」の輪が外野にまで大きく広がることを願っています。

 最後に一言。

「東京の親父、おふくろ、元気ですか?私は、遊学館で頑張っています。
学校のホームページも見てください!」

2007年8月14日 (火)

【第2回】校歌にみる「遊学館高校」 −その伝統−I. I. (国語)

今年の甲子園大会県予選の時の話です。

本校の第1回戦が、休日と重なったこともあって、私は県立球場に応援に出かけました。
対戦校には申し訳ないですが、16対3という大差で5回コールド勝ちをした試合は、
学期末で疲れ気味の私に、元気を与えてくれました。

試合が終わり、主審のゲームセットのコールで、両チームが挨拶を終え、たがいに握手で健闘を称え合い、
勝利チームの選手たちが、バックスクリーンに向かい横一線に整列し、脱帽します。
勝利の満足感で誇らしげにこうべを挙げて、母校の校歌を待つ、おきまりのシーンです。
ベンチ裏で観戦していた私も、当然起立して帽子を取り、選手と一緒に校歌を歌おうとしていました。
私の隣には、某高校のユニフォームを着た生徒が、グラウンドへ整備に行こうと待機していましたが、
その生徒も一旦その場で動きを止め、脱帽しました。
本校の校歌が流れ出しました。

前奏が終わり、私が校歌を歌い出したそのとき、隣の彼も同時に歌い出したのです。
「ウーエケーンー、ヒートモー、ナーツカァーシィーヤー…」
こんな難しい歌詞の校歌を、しかも他校の生徒が歌い出したことに驚いて、
私はしばらくその生徒を眺めていました。
なんと彼は、本校の校歌を見事に歌いきったのです。
校歌が終わり、彼は整備に遅れまいとグラウンドに降りようとしました。
私は思わず無理矢理に、急ぐ彼の袖をひっぱり、本校の校歌を歌えるわけを尋ねました。
「何回も聴いているから自然と覚えました。意味はさっぱり分からないけど、いい校歌ですよね」
そう言い残して、彼は走り去って行きました。
それだけの話です。

それでも私はとても嬉しく幸せに感じ、この時、本校の「伝統」を強く意識したのです。
本校の校歌は、金城高等女学校の校歌として、大正13(1924)年に制定されました。
ですから、それ以来、多くの生徒たちによって、80年以上も歌い継がれてきたことになります。
ここに、本校の七五調の格調高い校歌と、その意訳を載せたいと思います。
未熟な私の拙い訳です。
間違いやご指摘がありましたら、メールやお便り等でお知らせください。

遊学館高等学校校歌

八波則吉先生 作詞   大西安世先生 作曲

植ゑけむ人も なつかしや         いったいどのような人が植えたのだろう
庭の姫松 年毎(としごと)に        その校庭に植えられた姫松が年を追うごとに
弥栄(いやさか)えゆく 学びやは     ますます繁っていくように我が校が栄えゆくのは
名も*金城の 揺るぎなき         その名も金城のように堅く揺るぐことのない
*徳の礎 あればこそ            徳の礎があればこそである

*桃李(とうり)言はねど おのづから   徳のある人のもとには人柄を慕って
下蹊(したこみち)成す 習ぞと      自然に人々が集まってくるものだと
教の君の 言の葉の            教えていただいた先生のお言葉のように
末は紅葉と 照り映ゆる          ゆくゆくは紅葉と光り輝く
錦心に 飾らばや              錦のように美しい徳で心を飾りたい

万花の春に さきがけて          多くの花が咲き誇る春に先だって
清き香放つ 白梅の            清らかな香りを放つ白梅のような
高き操を 則(のり)としつ         気高いまでの志を手本としながら
知徳を磨き 体を練(ね)り         学問に励み身体を鍛え
皇御国(すめらみくに)に 尽さなむ   我が祖国に貢献したいものだ

*金城(守りが堅固な城。)    
*徳(修養によって身につけた、すぐれた品性や人格。)
*桃李…下蹊成す(「史記-李将軍列伝」にある「桃李言はざれど下自ら蹊(こみち)を成す」に拠る。
「桃やすももは何も言わないが、その果実に誘われて人が集まってくるので、その下には自然と小道ができる」との意味。
転じて上記訳。

2007年8月 7日 (火)

【第1回】吾輩は鯉である −夏休み、ある早朝の風景−松田 淳 (地歴・公民)

ただいま朝の7時30分。

体育館からは部活の朝練の生徒の元気な声が聞こえてくる。
夏季補習のために登校してきている生徒の明るい挨拶が響き始めている。
学生寮オレンジハウスの寮生たちは洗濯もそこそこにグラウンドへ出かけて行く。

吾輩は遊学館の中庭の池の鯉である。
人間たちはこの中庭を“遊学庭”と名づけているらしい。
昨日は全校登校日。
久しぶりに校舎は生徒たちの夏休み中のできごとの話でにぎやかにわいていたようだ。
しかし相変わらず餌もくれないのに手を叩くのだけはやめてほしいものだ。
人間は不思議だ。
なぜ吾輩たち鯉を見ると手を叩くのだろう。

この学校の生徒たちはとにかく明るい。元気がある。いいことだ。
廊下で先生と生徒が出会うと元気に「こんにちは」と声をかけ合っている。
この池まで響いてくるのだ。
吾輩が住むこの池の横にある胸像、せむ先生もにっこり笑っている。
せむ先生とはこの遊学館を女一人の力で守り続けた、がばいばあちゃんである。
吾輩も長年この池に住んでいるが大尊敬する人間の一人である。
せむ先生とは離れて、でも向かい合うようにして広吉先生の胸像がある。
広吉先生とはこの遊学館を今から103年前の明治時代に創設した偉大なる先生なのだ。
そのおふたりがずっと仲むつまじくお互いを見つめ合っている。
そして、この遊学館をいつもいかなるときも見守り続けているのだ。
吾輩にとってもあこがれのご夫婦である。

今日の空は雲ひとつない夏の青空。
遊学庭の真ん中にある樫の木のセミたちは生徒にエールの大合唱だ。
全館冷房の涼しい教室では登校してきた生徒たちがそれぞれで勉強を始めている。
たまには気分転換に外の空気を吸いに吾輩に手を叩きに来てほしいものだ。

おっと、女子生徒が吾輩の池の横に落ちているゴミをすっと拾っていってくれた。
見ているこちらには気づかないらしい。
そこで吾輩は声を大にして言いたい。
今どきの高校生はかなりしっかりしている。
しっかりしなければならないのは世の中の大人たちだと。

そろそろ先生たちや生徒たちが登校してきてあわただしくなってきている。
それでは吾輩も事務のお姉さんからいただく食事としよう。
最後に、このホームページを見ている卒業生のみなさんに朝の一句をお届けしたい。

『世の中に疲れたならば愛に鯉(会いに来い)』     

-2階職員室前の廊下より遊学庭を見ながら、ゆらゆらと泳ぐ鯉の気持ちになってみました-

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夏休み、ある早朝の風景

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向かい合う広吉先生とせむ先生